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名称 龍穏寺
(越生七福神 毘沙門天)

住所 埼玉県入間郡越生町大字龍ケ谷
電話番号 049
292-3121
施設概要
龍穏寺は、永享の頃(1429〜1441)に将軍足利義教が上杉持朝に命じて尊氏以来の先祖の冥福と戦乱に果てた人々の霊を弔うために創立したものといわれています。 しかし、その後兵火にかかり、文明4年(1472)に太田道真、道灌父子によって再建された。
天正18年(1590)には、豊臣秀吉から御朱印百石を受け、次いで慶長17年(1612)には徳川幕府から、曹洞宗の関東三か寺を命じられ、国内 23か国の曹洞宗寺院の世話をした。 また、江戸に寺地を賜り住職はそこに常在した公務を務めたという。

宝暦2年(1752)に火災によって堂塔を焼失し、天保12年(1842)に再建されたが、大正2年の火災に よって、山門、経蔵、熊野社を残して全焼し現存する本堂は戦後再建されたものです。

【問合せ】越生町観光協会(049-292-3121 越生町役場経済課)
【駐車場】あり
【アクセス】車 :県道30号線「三滝入口」交差点より県道61号線を黒山三滝方面へ「龍穏寺」看板を右折


名称 青龍山 最勝寺
(越生七福神 福禄寿)

住所 埼玉県入間郡越生町大字堂山
電話番号 049
292-3121
施設概要
青龍寺最勝寺は、元は西照寺とも呼ばれ、建久4年(1193)に源頼朝の命により、児玉雲太夫が創建したと伝えられている。
ここは、慈光寺への参詣路上にあり後年慈光寺道と子の権現参詣路の分岐点となった。山門横にある大地蔵は元山門前の三差路にあったものと されています。

明治41年いんは大火災で本堂を焼失し、上谷の常願寺を移築している。本堂左手の大御堂には釈迦如来、阿弥陀仏。四天王像が安置されていて、町指定文化財 の「笈(おい)」も納められている。
最勝寺には、足利成氏(古河公方)の招きをうけ主治医となり、その後、武蔵に戻り関東一円を往来し多くの庶民を苦病から救ったといわれる聖医「田代 三喜」に関する埼玉県の説明書きがある。田代三喜は、 川越生まれと言われているが、ここ越生の生まれの説もある。

【駐車場】あり
【アクセス】車 :県道30号線「三滝入口」交差点より県道61号線を黒山三滝方面へ梅園神社を過ぎ500m先の路地を右折し、越辺川を渡ったT字路を右折後100m先を左折。


名称 円通寺
(越生七福神 寿老人)

住所 埼玉県入間郡越生町大字小杉
電話番号 049
292-3121
施設概要
円通寺は、曹洞宗の寺で大護山と号し龍ケ谷にある龍穏寺の末寺です。本尊は釈迦如来で、その他観音菩薩、薬師如来、延命地蔵尊、水子地蔵尊が安置されている。 創建の年代については定かでなく、寛文年間(1661〜1673)に小金井万衛門が開基、龍穏寺第二十二鉄心御洲弾師が開山したと伝えられている。
その後、曹洞宗 、臨済宗、無住を繰り返し龍穏寺第四十八世天産慧苗(えみょう)弾師が中興開山した。大正13年に堂字全て焼失し昔の面影は失われてしまったが、昭和11年いn壇信徒 の協力により復元され現在に至っている。

寛文年間の御洲和尚、天和年間の高郁和尚、天明年間の慧苗和尚、慈猛和尚等は、当時の歴史にも名を残す名僧です。

【駐車場】なし
【アクセス】車 :県道30号線「三滝入口」交差点より県道61号線を黒山三滝方面へ進み、越生自然休養村センターの手前細い路地を左折。
※越生自然休養村センターへ駐車すると便利です。越生自然休養村センターからは徒歩2分

名称 全洞院
(越生七福神 布袋尊)

住所 埼玉県入間郡越生町大字黒山
電話番号 049
292-3121
施設概要
全洞院は、岩松山と号し曹洞宗の寺で本尊は弥陀を安置しています。この寺には、近くで自刀した渋沢平九郎の墓がある。 渋沢平九郎は、飯能戦争のときの振武軍の副将で、渋沢成一郎を大将として飯能市羅漢山(現在の天覧山)に立てこもった。 振武軍は慶応4年(1868)五月二十三日の官軍三千名の総攻撃を受け敗れ、渋沢平九郎は傷つきながら故郷下手計村(現在の深谷市)に退れようとする途中 、顔振峠の茶屋の主人に落人姿では危ないと言われたため百姓姿に身を変えたが、越生町まで進出していた官軍に発見されてしまう。藁包に忍ばせてあった小刀 で抵抗したが、多勢に無勢利あらずと悟った平九郎は近くの大岩に座って自刃する。首は官軍によって越生にさらされ、胴体は村人の手により全洞院に葬られ「ダッソ様」(脱走様)と呼ばれた。

自刃した岩の脇のグミは、平九郎の血を吸ったため、その実は平九郎の血を宿すと言われ「平九郎グミ」と呼ばれています。
自刃した地には、後年一族の渋沢栄一、渋沢敬三らによって 碑が立てられている。

【駐車場】あり
【アクセス】車 :県道30号線「三滝入口」交差点より県道61号線を黒山三滝方面へ


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