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名称 氷川神社 住所 埼玉県さいたま市大宮区高鼻町1-407 電話番号 048
641-0137
施設概要

大宮にある氷川神社は、武蔵一の宮と称された2,400年前の古社で、建立は、第五代孝昭天皇によるものとされている。 御祭神は、須佐之男命、稲田姫命、大己貴命。社殿は、治承4年(1180)源頼朝公が土肥次郎実平に命じて再建、その後、幾度か造営され今日に至っています。 境内の広さは約3万坪、参道は中山道の一の鳥居(さいたま新都心駅前)から約2キロメートルと長い。

氷川神社は、安産祈願、七五三祝、合格祈願、成人祝、交通安全祈願など多くの人が祈願、お祝いに訪れています。

【駐車場】あり
【アクセス】
◇車:国道17号桜木町交差点を右折、氷川神社入口交差点を左折(左折で氷川参道へ)。
◇電車:JR大宮駅下車徒歩15分。または、東武野田線北大宮駅または、大宮公園駅下車徒歩10分。


名称 三宝 氷川女体神社
住所 埼玉県さいたま市緑区宮本2-17-1 電話番号
施設概要
当社は、崇神天皇の御代に出雲杵築の大社を勧請した古社で武蔵国一宮として見沼のほとりに鎮座している。主祭神は奇稲田姫命で大己貴命と三穂津姫命を配祀している。 中世以来は、部門の崇敬を集め、ゆかりある宝物も多く、徳川家康からは社領五十石を寄進され、また徳川家綱によって現存する社殿も建てられた。

−氷川女体神社社殿(市指定文化財)−
社殿は、本殿・幣殿・拝殿を直結した権現造りの形式をもっている。本殿は三間社流造りで全面に朱漆が塗られていて、 寛文7年(1667)に徳川家綱が再興したものとして知られている。拝殿は間口五間の荘重な建築で、本殿と同時期あるいは元禄の修理のとき建てられたものと見られる。


名称 光徳寺
住所 埼玉県さいたま市見沼区膝子315 電話番号
施設概要
光徳寺は、曹洞宗の寺で江長山と号し、寺の開創は、文禄4年(1595)で、本尊に薬師如来を安置している。
当山は、江戸時代の3代将軍家光以降代々13石の寺領を賜り、9通の朱印状が今も残されています。寺の西側を通り日光御成道は、将軍の東照宮参拝の際の専用道と して使われ当寺はその休憩所ともなっていた。

【アクセス】
◇車: 国道16号を岩槻市方面からさいたま市方面へ、宮ヶ谷塔交差点を左折し七里駅入口交差点まで直進、 七里駅交差点を左折し道なりに約2Km。


名称 勝願寺
住所 埼玉県鴻巣市本町8-3-31 電話番号 048
541-0227
施設概要

勝願寺は、鎌倉時代に良忠という僧が登戸の地に堂宇を建立したことが始まりとされ、清厳上人が天正元年(1573)に現在の地に再興したとされています。   徳川家康が文禄2年(1593)に鴻巣で鷹狩りを行った折に勝願寺を訪れ、2世住職 円誉不残上人に感銘を受け、様々な宝物を寄進したと言われています。これらの宝物は幾度かの災厄により殆ど失われてしまった。 徳川家康は、また将軍家の三つ葉葵を使用することを許し、現在でも仁王門などにその事がうかがい知れる。 家康は、慶長2年(1597)、慶長6年(1601)、慶長9年(1604)にも鴻巣で鷹狩りを行っとされ、慶長6年に訪れた際には、 結城家当主であった次男・秀康の越前移封により、領主不在となった結城城中の御殿、御台所、太鼓櫓、鐘などを勝願寺に寄進したと言われています。 円誉不残上人は、慶長11年(1606)に後陽成天皇より僧としては最高位である紫衣(しえ)を与えられ、関東十八壇林の1つとして隆盛した。

勝願寺には、現在、徳川歴代将軍の朱印状、勝願寺を菩提寺とした家康の家臣 伊奈忠次・忠治父子の墓、酒井忠次・榊原康政・井伊直政とともに徳川四天王と称され本多忠勝の娘で、 家康の養女となったあと真田信之に嫁いだ小松姫、真田信之(真田幸村の兄)の三男 信重とその室、豊臣秀吉の家臣で、後に家康に仕えた仙石久秀の墓などがある。

【アクセス】
◇電車: JR高崎線鴻巣駅東口から徒歩13分
◇車: 県道57号(中仙道)を上尾市・桶川・北本方面より鴻巣市内へ進み、本町交差点手前を左に



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